命の危険をちらつかせる母親
母親に限らず被害者意識の強い女性は、悲劇のヒロインを演じ続けます。自分が一番かわいそうだし、自分が弱者だということが最大の武器です。
確かに不幸に見舞われることが多かった人生で自分がどうすることもできなかったのかもしれません。ですが自分の弱さの原因を他人や社会のせいにしたりする人は発言の論点がズレるので周りからも敬遠されがちです。より孤独を深めてしまいます。
実際に病気を患ってしまい、死んでしまうかもしれないという己の恐怖を子どもたちのコントロールの手段に意図的に使い、支配しようとする母親がいます。
母親だって病気になりたくてなったわけのではないですし、思い通りにならない自分のカラダにストレスを感じているのは確かですが、コントロールしたい悲劇の母親は、言葉の節々に「あなたの世話がなければ私の命は危うい」という圧力を常にかけているのです。
病気になりさえしなければこんなことにならなかったのに・・・
あの時そばにいてくれなかったから・・・
私のことをいつか見捨てるのよね
楽しいなんて人生で思ったことないわ
子どもにとって「母親を失ってしまうかも」という不安や母親の嘆きほどこれほど辛いことはありません。トラウマのように深く意識に刻まれてしまいます。母親がその後回復したとしても、母親の支配と子どもころの不安は続きます。母親も何かにつけて体調の悪さを訴えては娘を遠くに行かせないようにしますし、娘は「私がいなければ母親は生きていけない」母親をかわいそうな存在と考えています。
娘が自立する、恋愛する、旅行するといった節目に限って体調を壊してしまう母親がいるのです。その度に見捨てられずに諦める娘。
すっかり共依存の関係が出来上がっています。
このタイプの娘は成長すると、パートナーからも依存されがちになります。というよりも依存を望む人を探し当てている節も。自分を守ってくれる存在より、「私がいなければ生きていけない」と思わせる人を求めてしまうのです。
誰かに認められたい欲求は誰にでもあり、誰かの世話をしたいという気持ちは悪いことではありません。ただ度を過ぎるのは禁物です。何百万という借金を肩代わりしたとか、パートナーの親族まで面倒を見ようとか、自分のできる範囲を超えてしまうのは危険です。
自分のキャパシティーを決め、「かわいそうな存在」探しをやめないと、周りにただ搾取されるだけの人生になってしまいます。
できること、できないこと。
この線引きができるように過去の不安から自分を解放しましょう。