それはまるでサスペンスドラマです。

作家・夢枕獏さんの『陰陽師シリーズ』が大好きです。
作品の中でよく出てくるセリフがありまして・・・それが

「呪にかかる」

この場合「のろい」と読まず、「しゅ」と読みます。
ざっくりいうといい意味でも悪い意味でも言葉には呪文のような力がある、と言うことなんですね。

親から「お前はダメだ、頭が悪い」と言われ続けた子供には自己肯定感が育たない。親から自分の居場所を保証されて肯定されることが子供の精神安定に必須だ…と言われています。ところが実際には、同じような環境でも自己肯定感をしっかり持っている人もいますし、何不自由なく育ててもらったはずが虚しさを抱えて引きこもってしまう、なんていう人もいるわけです。

この違いって何なんでしょう。

いつまでも自分を否定するループから抜けられない人は制作された2時間もののサスペンスドラマが時々夕方再放送されているのに似ています。
私たちは記憶を自分の都合のいいように「編集作業」をしています。「子供のころ、こんなことがあり、すこし大きくなってからあんなことがあり、結婚する前にそんなことがあり…だから今辛い」みたいなドラマです。
でも実際の脳の中にある人生の記憶は膨大です。その数パーセントを切り貼りして、自分の2時間ドラマを制作してしまうのですね。
わざわざ犯人が犯行を告白するのに街から何十キロも離れた岸壁に行く必要あるの?どうやって行ったん?みたいな(笑)ちょっと矛盾も出てしまいますが、そこはなかったことにします。でも一度ドラマを完成させてしまうと、作り直すことはしません。だから人生で延々と再放送をし続けるのです。

本当の原因に行きついていれば、つまり事実と感情が一致して納得できていればそのドラマの出来に満足して、人は忘れてしまうものです。自分が作り上げたドラマを時々「あの時の嫌な思い出が原因なんだ」と思い出している人は、要は本当の原因にたどり着いていないということ。親から否定されたことが、本当の理由ではなく、もっとずっとずっと前からあなたの自己肯定感を妨げる事件があったとしたら、親のことを恨んでも何も解決しないわけです。

確かに言葉は他人を「呪にかける」力があるけど自分の言葉にも「呪にかかり」ます。一度「自分がこうなってしまったのは○○のせい」なんて決めセリフを言ってしまうとそこからなかなか抜け出せません。私はそういう先入観なしで、つまり「呪にかかってない」状態で、ご相談者様の語る人生ドラマを眺めています。
だからセラピーの中で私が「意外な答え」を出します。「え、それが原因ですか?」と大抵驚かれます。
でも長いこと人生で引っかかっていたことが全てそれで繋がるのでみんな納得しちゃいますね。納得しちゃうと「今まで悩んでいたのは何だったんだろう、どうでもいいや~」とスッキリします。こうなれば再放送はしないです。

自分の今までの人生、再編集しませんか?